6/5(土)
私は前夜一睡もできずにフランクフルト往きの機内にいた。
成田では『ワールドサッカーダイジェスト』、『sports yeah!』、『SPA』
を買い込み機内で読みふける予定だったが、ビールとワインで爆睡し、
気付いたときにはすでにフランクフルト。EUROで盛り上がっているであ
ろう『ゑぐをの国』を乗り継ぎのみで通過し、”あの男”が待っているハン
ガ リー・ブダペストに向かった。
興奮を押さえきれない私は、18:00頃ブダペスト到着しすぐにホテルチェ
ックイン。とりあえずホテルにて夕食をとった。ハンガリー名物『グヤー
シュ』スープに舌鼓しワインもすすむ。やはりヨーロッパは違う。”あの
男” がうらやましい。(実は私は仕事で来ていたのだが)すべての仕事
を終え たときはすでに22:00をまわっていた。私はここのところの多忙
と睡眠不足 とアルコホールでダウン寸前であったが、やはり使命を
遂行するために 受話器をとり”あの男”に連絡を入れた。
「もう遅えからなあ、出るかなあ」と思うか思わないかくらいのtwoコール
で「もしもし(ちょっと高めの疑問形で)?」カットイン。「早っ!」と思い
ながらも「新井です」とボリュームを絞った重低音であいさつ。そう
”あの男”『世界のヒデ』である。「どうよー?」とか訳の分からない
あいさつを軽くかわしたあとアポイントメントを取り付ける。15分で
こちらに来れるとの ことで、ホテルロビーで待ち合わせることにした。
15分後ロビーに降りていくと一人の日本人がソファーでくつろいでいる。
「片岡鶴太郎?」と、とりあえずお約束は心の中にしまっておき、
「ウィーッス」とがっちり握手。実に3年ぶりの再会を果たした。
とりあえず外に歩いていきヒデ行き付けのドナウ川を見ながらのバー
に行く。行く途中で(というよりは会った瞬間から気付いていたが)、
パンパンに張った腹と額をチェック。ちょっとタイトなシャツからのぞく
胸毛とあわせてイタリアを感じさせる。『やはりヒデはワールドクラス』。
額は 筆者自身も気になっている箇所ではあったが、その点では神
である藤田俊哉の話題にも触れておいた。
さて、ここからブダペスト会談が始まったわけだが(写真参照)、現在の
話よりは昔の話に花が咲いてしまい酒もすすむ。3次会まで突入しハン
ガリー名物アルコホール40度「パーリンカ」(テキーラのようなもの)一気
でもう訳分からず。 その時ふと思ったのは、『ヒデはポジションどこだっ
たっけ?、どんなプレイヤ ーだったっけ?、ん、サッカー部だったっけ?
そうだっ山本君と松井君とゴルフ部だったんだ』と耄碌しながら納得して
いた。『では何故俺はここにいる?』すでに2時を過ぎ、かなりおかしく
なっていたのでこの日はホテルへ戻る事にした。メイン通りを教わりな
がら、ニアラー発揮しブダで立ちションも混ぜながらホテルへ到着。
あっという間に爆睡となった。
6/6(日)
早起きしたが昨日の酒は全く残っておらず快適。この日の仕事も軽く
こなし比較的早めの時間にヒデに連絡。ブダペスト会談2日目である。
ここで記しておくが、ヒデは浦和西メールを良く見ている(というかこれ
でしか情報を得られないためだと思うが)。かなり詳しく把握している
模様。さすがハンガリー支部長も勤めている事だけはあるとあらため
て感心。
本 日もヒデのホストにより会談開始。アイリッシュパブ風な所で親善
試合を見ながらすすめていった。普通のパブでもサッカーがやって
いる、こんなところにもヨーロッパを感じざるをえない。今日もパーリ
ンカで景気付けし、前夜から二人の中で流行っている「オレー!」を
連発(注:闘牛風の「オーレッ!」でなくナイキのCMで股抜きした奴が
された奴に顔近づけて言う「オレー」の方)。かなりご機嫌であった。
ヒデとブダペストは最高だ。
こうしてブダペストの夜は更けていき会談は充実の内容で終了。
浦和西クラブの方向は確認された。次回ヒデの来日時にはザスパ
草津の『草津温泉』ロゴ入りのユニか、大分トリニータの『ペンタ君』
ロゴ入りユニを準備しておくことを約束。(ハンガリーでのサッカー時
にうけるから欲しいとのこと。あいかわらずこのようなところにはお金
をかけるらしい。小江智也筆頭の西高魂存分に発揮している。)
ご機嫌な我々はブダペストの町中を徘徊し帰路についた。
ライトアップされたドナウ川と王宮を背景に、「ザスパーオーレー!
フォルツァー草津ー!」の声が妙に連発して響くブダペストの夜で
あった。
|